風に乗って

  前夜は、いつも通りの時刻にベッドに横たわったのだが、少し寝付き

 が悪かった。大空を自分の手で操って飛行するなんて、そのことに不安を

 感じていたのが原因かも知れない。だが、時は今、約束の時刻が迫った。

 大丈夫だと自分に言い聞かせ、不安を振り切って、迎えの車に乗り込だ。

  車は、ホノルル国際空港のゲ-トから、飛行場に入場した。オフィスのソ

 ファでしばらく待っていると、インストラクタ-の日本人青年が現れた。

  自己紹介した後、コックピットの写真と模型の軽飛行機を教材にして、

 操縦方法と、パネルに並んだ各種メ-タ-の説明を受けた。

  操縦桿を手前に引けば、機体は上昇する。逆に押せば下降する。…(エ

 レベ-タ-)

  そして右に回せば右に、左に回せば左に旋回する。…(エルロン)

  足下のペダルを踵で踏み降ろせば、踏み降ろした方へ方向舵が動いて、

 機首を振り向けるという訳だ。…(ラダ-)

  また、足下の左右のペダルは、地上で飛行機の車輪を左右個別にブレ-キ

 が掛けられる。右や左のペダルをつま先で踏み込めば、踏み込んだ側の車

 輪が停止するので、右折や左折が可能となる。

  パネル右側のスロットルレバ-を押し上げると、エンジンの回転が上が

 り、機体は走行を始める。

  操作は全てゆっくりと行う。でなければ失速するか、きりもみして墜落

 するかも知れない。 

  パネルに並んだ主な計器類は、速度計・高度計・水平儀・コンパス、そ

 れからインストラクタ-が地上の管制塔と交信する無線機である。

  さて、いよいよ実機でのフライトへ、駐機場へ向かった。

  単発の軽飛行機とはいえ、随分大きな物体だ。しかし、機内は狭い。

 コックピットは多分、軽自動車の空間ほどもない。

  インストラクタ-の指示に従い、エンジンを始動した。車のエンジン始動

 の要領と全く同じである。プロペラがプルプルと回転を始め、スロットル

 レバ-を押し上げるとエンジンが噴き上がり、機体は走行を始めた。操縦桿

 を強く握り締め、誘導路に進めた。だが、白線に沿って走行するのがひど

 く難しい。操縦桿は車のハンドルと役目が違う。早速、焦りを感じてしま

 った。何番の滑走路であったか覚えていないが、インストラクタ-の補佐を

 受けて何とかスタ-トラインまで辿り着いた。

  管制塔から離陸許可が出て、スロットルレバ-をゆっくりと押し上げた。

 レバ-の動きに合わせて機体はスピ-ドを増し、浮き上がった。さらにスロ

 ットルレバ-を押し上げ加速した。

  周りの景色を見るゆとりはなく、迫り来るホノルルの山並に衝突するの

 ではないかと心配になった。すると、ヘッドセットから「力を抜いて下さ

 い」という指示が聞こえた。私が緊張の余り、操縦桿を握り締めていたも

 のだから、インストラクタ-が補佐できなかったらしい。気が付くと私の手

 の平は汗でびっしょり。

  高度1500フィ-トまで上昇した後、右に旋回してワイキキの上空を飛行

 した。水平飛行に移ると幾分かリラックスできるようになった。インスト

 ラクタ-との会話も普通にやり取りできるようになった。

  眼下にダイヤモンド・ヘッドの大きな火口が一望できた。昨日は5人の

 グル-プでダイヤモンド・ヘッドを登山したばかりだ。頂上から見たワイキ

 キは、青い空と紺碧の海、そして林立する高層ホテルの群れが美しかった

 。きょうはその上空を自分の手で操縦しているのだ。実にすばらしい。

  感激物だ。喜びをいっぱいにインストラクタ-とも打ち解けて、会話が

 弾んだ。

  順調に飛行を続けながら上空から観光案内をしてくれた。だが、珊瑚礁

 の群生が見えたのはハナウマ湾であったかな…?。緊張感がまだ残ってい

 たのか、あやふやな記憶だ。オアフ島の東側に回るとカネオへ基地が前方

 に見えた。インストラクタ-は飛行許可を取るために、手際よく無線機を操

 作して、英語で交信していた。交信の後、私の息子のような年代のインス

 トラクタ-から、「飛行許可をもらいました」と、報告を受けた。私は調子

 に乗って「OK!,OK!」と応えてしまいそうになったが、思い留まって

 頷いた。

  海岸線を北側へ回り込むと、横綱の出身地とか映画「ジュラシックパ-ク

 」のロケ地になったという辺りを左に見ながら飛行し、さらにポリネシア

 ン文化センタ-が眼下に見えた。ポリネシアン文化センタ-と言えば、あの

 愛くるしいダンサ-の笑顔が思い出された。今回は訪れる予定は無いが、い

 つかの機会に再訪したい場所だ。

  やがて、高度を2000フィ-トへ、操縦桿を引き上げ、帰路となる山合い

 のコ-スへ機首を向けた。このコ-スは第二次世界大戦の引き金となった真

 珠湾奇襲攻撃で、ゼロ戦が侵攻した3コ-スの内の一つだと説明を受けた。

  若干の揺れを感じつつ谷間を抜けると、真珠湾が眼下に見えた。あの真

 珠湾の悲劇に始まって、激しい攻防の末、広島や長崎に忌わしい原子爆弾

 が投下された。そして、戦争に終止符が打たれた。

  私は幼少の頃、アメリカは強い国だと漠然とした気持ちを抱いていた。

 進駐軍の若い兵士がジ-プを乗り付けて、神社の階段を駆け上がって見せた

 りした。私らは、恐る恐る距離を置いて眺めていた。兵士が近付いてくる

 と恐さの余り、一目散に逃げた。捕まってしまった子は、チョコレ-トをも

 らって解放され、泣き笑いの顔になった。私は捕まるのが恐くて、欲しい

 チョコレ-トは当然ながらもらえなかった。

  遠足に行った時、分限者の子が進駐軍の兵士を真似て、高い所から級友

 らにチョコレ-トを投げて拾わせた。級友らは大喜びであったが、その光景

 を見た美人の誉れ高き先生は、血相かえて叱りつけた。食べ物が十分に行

 き渡らない時代とは言え、「情けないことは止めなさい」と。普段見た事

 のない先生の激しい怒りを感じ取った私らは、直立不動のまま俯き、上目

 づかいで先生の怒りが収まるのを待った。戦争がもたらした悲劇は、こん

 な所にもあったのだなと懐かしく思い出された。

  真珠湾の直ぐ近くにホノルル国際空港が見えた。滑走路が1本の楊子の

 ように細く見える。インストラクタ-に「あそこに降ります」と指差され、

 不安と緊張が走った。だが、インストラクタ-の指示に従い、ゆっくりとス

 ロットルレバ-引いて速度を落とし、操縦桿を押し上げると共に右に旋回さ

 せると、機体はZ字形に降下を始めた。さらに速度を落としながら空港タ-

 ミナルの上方を横切るようにして、4L滑走路へ向かった。着陸に向かって

 操縦桿を押し上げ、第一段階の制動板を作動させる為、右下のハンドレバ

 -を引き上げた。機体は見る見る降下し、そのまま車輪と路面が接地する

 軽い衝撃を感じた。機体が轟音と共に滑走を始めると、インストラクタ-

 は矢継ぎ早に指示を出し、私はそれに従ってスロットルレバ-を引き下げ、

 ハンドレバ-を第二段階、第三段階へと引き上げた。速度が十分に落ちた

 ところで、右のラダ-ペダルを踏み降ろし誘導路へ進めた。

  無事に体験飛行は終わった。大きな緊張感を感じた反面、達成した感激

 も大きなものとなった。インストラクタ-のサイン入りフライト認定証を

 頂いた。

  ハワイの爽やかな風の中で、姪の結婚式と私の体験飛行は、私の人生に

 とって記念すべきビッグイベントになった。

 

 
おにいさまのホ-ムペ-ジへ

Washin Airへ
  



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